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大和の地上絵

不動産の公図や地籍図などの農地の中に9m~12mの幅で東西に意味不明の境界線が書かれてあることがあります。
別に気にもしてなかったのですが、今日、不動産鑑定士の先生の話を聴いてちょっとびっくりしました。
最近の研究でこれらが古代の官道であることがわかったらしいのです。
日本書紀では道路の建設は5世紀頃からはじまったとされています。
645年の大化の改新で駅伝制が定められ、約16kmおきに駅屋(伝令のための早馬を置いておくところ)が置かれます。
古代の官道は駅路として大路、中路、小路と呼ばれていたそうで山陽道は都と大宰府を結んでおり、古代の最重要幹線である直線の道路であったそうです。

私のウチから南に車で10分も走ると竹内街道があり、今はなにもない農地ですが幅員は36m~42mという非常に大きな道路であったようです。

031c

そんな時代に何故このような大きな道路があったのでしょうか?
山陽道の工事方法は不明です。
軍用の目的であったとか、海外の使節団に見せて権力を誇示するためのものであったとか諸説あるようですが…
律令制度のもとでは農民の成年男子には都への納税を直接に荷車により運ぶ必要がありました。
それは納税のための道であったようです。
しかしこうした官道は11世紀には消滅してしまいます。
武士階級が権力を握り税の徴収者となったこと、貨幣経済が発達して米等の現物による納税がなくなってきたからというのがその原因です。

空から見ると、ナスカの地上絵のように官道の土手の盛り上がりが見えるという人もいるそうですが、地上にいるとよくわかりません。
あるようでもあり、ないようでもあり…古代は霞んでいます。
ナスカの地上絵には謎やロマンがありますが、こんなにも身近に謎があるなんて
ちょっと驚きです。

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コメント

おすぎさん、今晩は~!
意味不明な境界線も知らなければ、
それが古代の官道とは驚きました。
地図に記されるくらい今に残っているのですね。
壮大な浪漫、私も感じます。
おすぎさん、教えてくださってありがとう!
いい話だわ~!!

投稿: マロン♪ | 2007/04/05 20:55

私もこの話を聞いてビックリしました。
今でも奈良市内に南大路とか、京都にも西大路とかいう地名が残っているのも、古代あるいは都が京都に移ってから主要な道路が通っていたところなのでしょうね。
地図にそのような道が残ってるというのもスゴイなあとは思いますし、山林なんかの縄伸び(実際の面積よりも登記面積の方がずっと小さいこと)などは、秀吉の時代の検地から逃れるための過少申告がそのまま現代までひきずっているのではないでしょうか。
いろいろ推測すると面白いです。

投稿: おすぎ | 2007/04/06 00:00

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